吐くまで焚いていたい

 

送別会がある、しかし仲間を二次会に売り帰ってくる。

 

命のやり取りというのは時に残酷である。

幾ら何でも生贄がいないと変えることはできないのだ。

飲み足りない人が切れるから。

 

切れる神に対して生贄を捧げると言うのは古来から伝わっていることだ。

お供え物として同期を捧げることで私は夢を叶える。

 

いつの時代も生贄の側に回ったら終わりなのだ。

非常に変えることだけが生きる活路。

この資本主義というジャングルにおいては二次会と言う戦さ場に